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千葉地方裁判所 昭和44年(わ)437号 判決 1972年9月18日

主文

被告人を罰金五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中証人斎藤十六、同平井昭、同小林京子、同井末みよ子、同千葉燿子、同松本一暁、同宮内義之介、同板谷喬起に支給した分は被告人の負担とする。

理由

第一、本件の審理方式等について

本件業務上過失致死事件は、医師である被告人と看護婦である多田なおの過失が競合して生じたものとして併合起訴されたものであるが、訴訟の進行に関する公判期日前の打合せの機会において相被告人多田なおの弁護人より双方の利害が相反するものとして弁論分離の請求があつた。このため当裁判所は第一回公判期日に両者の弁論を分離し、さらに打合せのうえ、被告人笠貫と相被告人多田の双方に共通の証人について検察官の主尋問が同一の場合、不必要な重複を避けるべく、一方においてなされた証人の主尋問部分を記載した公判調書を他方が同意し(刑訴法三二六条)、実質的な反対尋問のみを個別に行なうものとすること、審理の進行をほぼそろえ、できる限り同一日に判決言渡をすること等の了解を得、この基本方針の下に審理を進めてきた。

ところが、多田なお関係の公判において審理終結間近になつて弁護人の辞任があり、審理が大幅に遅れてきたのに対し、本件被告人笠貫関係についてはすべての証拠調を終了し判決に熟するに至つたので、同一日に判決言渡をするとの当初の方針を変更し、ここに被告人笠貫について、まず判決を宣告することとしたものである。

第二、当裁判所の認定した事実

一、罪となるべき事実

(被告人および多田看護婦の経歴・業務ならびに第二内科の診療態勢)

(一) 被告人は昭和四二年三月千葉大学医学部を卒業し、同年四月から一年間、同大学医学部附属病院(以下単に附属病院という)においていわゆるインターンの課程を終了し、その後同大学医学部研究生として同学部第二内科学教室(以下単に第二内科という)に配属され、昭和四三年五月二九日医師免許を取得してから本件に至るまで附属病院第二内科(千葉市亥鼻町三一三番地所在)において診療業務に従事していたものである。なお、その間の昭和四四年四月一日附で千葉大学学長事務取扱湊顕より第二内科の副手として採用された。もつとも、これは「千葉大学医学部副手に関する申合せ事項」によつて身分を付与されたもので、一般職員を採用する場合の国家公務員法に基づく所定の手続によるものではない。従つて国家公務員ではなく、もとより無給である。

ところで、第二内科は制度上講座と診療科に分かれており、同教室の主任教授が右講座の主任教授、右診療科の科長を兼任していた。講座は研究を、診療科は診療をその直接の目的とし、附属病院第二内科は第二内科診療科がその業務を担当する。本件当時第二内科の講座には主任教授斎藤十六の下に講師三名、助手二名がいたが(助教授一名は空席)、被告人は講座の構成員ではなかつた。診療科には医師として文部教官(教授、助教授、講師、助手)一七名、無給医局員(副手、研究生、大学院生)がおり、入院患者(定数七〇名)および外来患者の診療業務に携つていた。

被告人は前記のとおり副手に採用されたが、副手の目的は教授の指導のもとに医学の専門的な研究に当らせ、あるいは診療業務に習熟せしめることにあり、そのため大学は副手に施設を利用させるという便益を供与し副手はこれを享受していることになるが、他方で一応独立した形で主治医となり、第二内科の診療行為の大半を引き受けているものであつて、その身分は制度的に不明確なものであつた。そして第二内科においては従来外来患者および入院患者のうち小部屋患者といわれるもの(後記のとおりA区、C区の一人乃至二人部屋に入院している患者)を助手および経験のある無給医が受け持ち、大部屋患者をその余の無給医が受け持つことになつていたため、入院患者の約八割は比較的経験の浅い無給医が受け持つ結果となつていた。被告人も副手になつて約半年経過した昭和四三年一〇月七日から一応独立した医師として入院患者の主治医となり、自己の責任のもとに担当の患者の診療を受け持つてきたものである。

なお、これら医師の勤務体制は、通常勤務の場合、一応午前九時から午後五時まで(土曜日は正午まで)、宿日直勤務の場合、平日は午後五時から翌朝九時まで、土、日曜にかかるときは土曜日の正午から翌日曜日の午前九時まで、日曜日は午前九時から、翌朝九時まで、ということになつていた。(もつとも医師の仕事の特殊性や、患者の状態により、勤務時間は必ずしも画一的なものではなかつたようである。)

(二) 分離前の相被告人多田なおは昭和四二年三月に千葉大学医学部附属看護学校所定の課程を終了し、同年五月一八日附で看護婦の免許を取得し、昭和四二年二月から附属病院第二内科で看護婦として勤務していたものである。

附属病院における看護婦の組織系統は、総看護婦長の下に各科の看護婦長がおり、その下に主任看護婦、看護婦、準看護婦、看護助手が配置されている。第二内科の診療科に対応する第二内科の看護婦は定員一七名(当時一四名)で、看護婦長は井末みよ子、主任看護婦は若林京子(現在小林姓)であり、多田なおはその系統下にある看護婦であつた。看護婦の勤務体制は医師とは全く別に早番日勤、遅番日勤、準夜勤、深夜勤と分れ、誰を、いつ、どの勤務につかせるかの業務割表は、第二内科では主任看護婦が作成していた。

(三) 第二内科の病床はA、B、C、Dの四区に分れていて合計十〇床あり、B区、D区が大部屋といわれる多人数一緒に入院している部屋で、A区、C区は一人ないし二人部屋であつて、当時入院患者の総計は五四名であつた。附属病院は研究教育機関であるという特殊性から医師が看護婦の数に比して圧倒的に多く、従つてどの医師とどの看護婦が組み合わせとなつて仕事をするという形はとられず、前記の病床の区分ごとに担当看護婦が決められていた。そして業務の実際は、医師の側で必要とする処置は、前日患者名、時刻、内容を指示簿(オーダーブック)に記載しておくと、看護婦側で担当看護婦がその指示簿を見て所要の準備をし補助をするいうものであり、原則として、医師側で特にある看護婦を特定してこれに指示するわけではなく、従つて誰が準備をし、補助をしてくれるのか医師としてはその時点まで分らないというのが通例であつた。

(本件事故発生の経緯)

被告人の受持患者であつた杉田慶喜(当時六八年)は多発生骨膸腫により昭和四三年一〇月一二日から第二内科D区二六号に入院していた。同人は骨髄における正常な造血機能が侵されて強度の貧血等を来たすため一ないし二週間に一度は二〇〇ミリリットル程度の新鮮血の輪血を必要としていた。被告人が右杉田の主治医となつてから既に四回輪血を行なつたが、その場合はいつも同人の家族において供血者を所定の日時第二内科に来院させ採血するという手順であつた。

昭和四四年四月二四日杉田の出血が増大悪化したので被告人は輪血を必要と判断し、翌二五日に一度輸血をしたが依然重態だつたので同月二七日にも重ねて輸血を施すことにした。同月二六日は土曜日であつたが被告人は杉田が重態であつたため附属病院に泊りこみ、翌二七日は日直勤務についた。当日の杉田の供血者は、前にも杉田のため供血にきたことのある杉井陽太郎(当時三二年)であつた。ところが、同人は予め約束してあつた午後一時を大幅に遅れ、午後六時頃来院した。看護婦は準夜勤の菊地苗江が介助することになつていたが、偶々菊地に他の所用があつたため、本来は日勤であつて既に勤務時間が終つていた多田なお看護婦が主任看護婦の指示によつて介助することになつた。多田看護婦は空いている一〇号室を採血の場所と定め、そこに採血に必要な器具すなわち、キャビネット型アイカ・デルックス・サクションユニット電気吸引器(昭和四五年押第一一二号の四。以下単に電気吸引器という。)、ACD瓶、空気針、駆血帯、その他消毒用薬品類等を運び、準備を完了したうえ、被告人に連絡したものである。

(本件で使用した電気吸引器の構造・取扱い等について)

(一) 多田看護婦が用意した右電気吸引器の製造元は株式会社市河思誠堂であつて、昭和三九年二月五日頃附属病院が第二内科主任教授斎藤十六の要請により千葉市内の山本器械店から購入したものである。

附属病院には本件当時同種吸引器が五台あり、そのうち二台が第二内科において使用されていた。この電気吸引器の形態は別紙(一)の図面のとおり(検察官冒頭陳述書より引用)であつて、その器械内部に内臓する四分の一馬力のモーターとロータリー式コンプレッサー等の作動によつて吸引および排気の相反する機能が発揮される。その作動方法は、器械正面上部左側の調節ダイヤル(陽圧。直下にPRESSUREと記され、ダイヤルとこの文字は隣接する圧力計とともに黒色で表示されている。)および同右側の調節ダイヤル(陰圧。直下にSUCTIONと記され、ダイヤルとこの文字は隣接する圧力計とともに赤色で表示されている。)をそれぞれ左いつぱいにまわしてその目盛を零にしたうえ、左側面の電源スイッチを入れ、吸引を目的とする場合は右側の陰圧の調節ダイヤルを右にまわすことによつて吸引にし、かつその強弱をも調節し、排気を目的とする場合は、左側の陽圧の調節ダイヤルを右にまわすことにより排気にし、かつその強弱をも調節することになる。

電気吸引器の一般的用途は、その吸引作用を利用しての喀痰等の吸引と、その排気作用を利用しての薬物の噴霧(ネブライザー)であつて、第二内科においても従前よりかかる用途に使用していたものであるが、昭和四三年一一月一五日はじめてこれが新鮮血の採取に転用されて以来、第二内科において輸血用の採血にはすべてこの吸引器による方法が行なわれてきた。(その回数は判明している限度では昭和四三年一一月に一六回、同年一二月一六回、昭和四四年一月二八回等である。)従つて、医師から採血の指示があると看護婦は当然に電気吸引器の準備をし、医師もこれによつて採血をするのが常態であつた。そして、被告人自身本件に至るまでこの方法による採血を一一回行なつており、他方多田看護婦も数回の経験を有していた。

(二) ところで、右電気吸引器による採血方法を詳述すると、別紙(二)の図面(検察官冒頭陳述書より引用)のとおり電気吸引器からでている陰圧パイプの先にタコ管をつなぎ、さらにタコ管に空気針を刺して、これをACD瓶(後述のとおり血液凝固阻止剤を入れ密封した採血瓶)の一つの穴に刺す。この段階で電気吸引器のスイッチを入れるが、調節ダイヤル(陰圧用)は零にしておく。次に採血チューブ(チューブの両端に金属針がついているもの)の一端の金属針(以下採血針という)を通常供血者の正中静脈に刺し、同静脈より血液が採血チューブに流れてきて他の一端の金属針(以下単に金属針という)の先端まできたのを確認してからその金属針をACD瓶のもう一つの穴に刺す。このようにして供血者の静脈より流出する血液がACD瓶に採血される状態になるが、その際供血者の身体の状況や採血チューブ内を流れる血液の速度等を考慮しながら調節ダイヤル(陰圧用)を右回転させ、吸入の強さを調節するのである。

第二内科においてこの作業は、医師と看護婦が事実上協同してあたつていた。そして、その具体的な分担としては、医師において供血者に対しまず視診、触診、問診をなす(最初の時には、血液型判定、交錯テストも行なう)ほか、供血者の静脈に採血チューブ先端の採血針を刺し、採血中は供血者の容態観察を行ない、介助の看護婦において電気吸引器を前記のようにセットし、始動させ、ACD瓶に採血チューブの他の先端の金属針を刺し、調節ダイヤルを動かすというものであつた。右セットに際しては、ACD瓶を陰圧パイプにつなぐことが必須のことであるが、もともと本件電気吸引器においては、陰圧すなわち吸引作用を営むための諸機器は前示の如く本体の右側部分に、陽圧すなわち噴射作用を営むための諸機器は本体の左側部分に集められていて、陰圧パイプは左側面にある陽圧パイプとは正反対に位置している。また、パイプの色と長さも陽圧パイプが縁色で短いのに対し陰圧パイプは灰色ではるかに長いので、両パイプの識別は外見上可能であつた。そして、第二内科の看護婦に対しては、電気吸引器が吸引に作動するかどうかはパイプにタコ管をつなぎ、スイッチを入れたのち、タコ管の先端に手のひらやアルコールをひたした綿球をあてるか、水の中に入れるかして確認する方法が指導されていた。

(過失の具体的行為)

被告人は前記のような経緯によつて昭和四四年四月二七日午後六時一五分ころから第二内科一〇号室において多田看護婦の補助を受け、当時第二内科で通例として行なわれていた電気吸引器による採血方法で供血者杉井陽太郎から輸血用血液を採取することとなり、多田看護婦から渡された消毒用ガーゼで杉井の左肘窩部を拭きながら杉井に対し簡単な視診、触診、問診を行ない、他方この間多田看護婦は本件電気吸引器の電源コードをコンセントにさし込んだ。ところが、同看護婦はその際誤つてタコ管を左側面の陽圧パイプに接続し、しかも調節ダイヤル(陽圧用)が予め他の看護婦の手によつて右の方(圧力計の指針が0.5の目盛を示す位)に廻されたままであつたのに気づかないで被告人に採血チューブ(前押号の二)を渡し、そして、杉井に駆血帯を巻いてタコ管の先の空気針をACD瓶(同号の一)の口にさし電気吸引器のスイツチを入れたが、同看護婦はこの場合にタコ管の先端に手のひら、綿球をあてる等して吸引に作動しているかどうかを確かめる措置もとらなかつた。被告人はここで右手に持つた採血チューブの採血針を杉井の左腕正中静脈に刺して採血行為に着手することになつたのであるが、本件電気吸引器は吸引と噴射の両機能を兼ねそなえた器械であつて、吸引用陰圧パイプと噴射用陽圧パイプが併存しているので採血補助にあたる看護婦においてパイプに対する接続を間違うおそれがあり、一旦間違えば致命的な結果を生ずる危険が考えられるのであるから、被告人は、医師としてみずから、右ACD瓶が正しく右吸引用陰圧パイプに接続されているか否かを点検確認するか、あるいは採血補助に当つた多田看護婦に指示して十分に点検確認せしめ、もつて右ACD瓶が噴射用陽圧パイプに接続されていたことを看過せず、安全な操作のもとに採血行為に着手し、空気を供血者の血管内に射入するといつた事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたというべきである(次項参照)。しかるに、被告人はこれを怠り、右吸引器の陰圧パイプの接続状況をみずから点検確認せず、また多田看護婦に指示して点検確認せしめることもなくして多田に「いいですか」と聞き多田から「はい」との返事を受けるや、漫然、採血針を静脈に刺し、血液が採血チューブに流入するのを認め金属針を多田看護婦に手渡し、同看護婦がその金属針を既に高圧状態にあつたACD瓶に接続させたため、前記杉井の正中静脈の血管内に多量の空気を注入し、よつて同人をして空気塞栓症による脳軟化症の傷害を負わせ、同年六月七日午前七時三〇分頃同病院において右傷害による体力消耗により死亡するに至らしめたものである。

二、注意義務認定の根拠

以上に判定したとおり、本件事故は、採血に際し補助にあたつた看護婦である多田なおが電気吸引器の操作を誤り、このことを医師である被告人が看過しその点検確認の注意義務を尽くさなかつたとするものであるが、特に事案の性格にかんがみ、いかなる根拠に基づいて右の注意義務を認定するに至つたかを本項で明らかにしておく。

(一)  採血行為の性質

採血、ことに輸血のため供血者から採血する行為はその血管壁や神経を損傷したり、空気や細菌が侵入したりする可能性を多分に含んでいるので、医行為すなわち医師の医学的判断および技術をもつてするのでなければ人体に危害を及ぼすおそれのある行為に該当すると解される。したがつて採血行為はもつぱら医師が主体となつて施行すべきものである(医師法一七条、採血及び供血あつせん業取締法一四条、保健婦助産婦看護婦法三七条等参照)。ただし、医師は採血行為のすべてをみずから行なわなくてはならないものではなく、適切な監督指示の下に診療の補助として看護婦を従事させることができるが(上記保助看法三七条)、その程度は看護婦の熟練度および採血方法のいかんと密接に関連するものと考えられる。

(二)  採血方法の諸類型

人体から医療用の目的で採血するということが盛んに行なわれだしたのは世界的にみると一九三七年シカゴのクックカウンティホスピタルに血液銀行ができてからであり、第二次世界大戦を契機としてアメリカにおいてその規模は一段と拡大されたといわれる。一方わが国においては第二次世界大戦以前は微々たる採血が行なわれたのみで、従つてその方法は主として大きな注射筒(五〇CCか一〇〇CC)の中に血液凝固阻止剤を少量入れ、この中に採血してそれをすぐ患者に輸血する(直接輸血)方法のみであつた。ところが、昭和二七年頃、わが国においても血液銀行が生れて、採血がかなり大規模に行なわれるようになり、採血方法としては平圧式と減圧式の二方法がとり入れられた。(イ)平圧式方法は、採血瓶(血液凝固阻止剤として普通クエン酸ナトリウム、クエン酸、ブドウ糖等を入れている。このため、その頭文字をとつてACD瓶ともいう)の中の圧力を平圧のままに保ち、叛の口のゴム栓の穴の一つに通気針を刺し、もう一つの穴に採血チューブの一端の針を刺し、他の一端の針を供血者の静脈に刺し、採血瓶を採血部位より下位において重力によつて血液を流出せしめるものであり、重力式とも呼ばれる。(ロ)減圧式方法は採血瓶の中の空気を予め抜いて中の気圧を下げ(通常五五ミリメートル水銀柱前後にしている)、その圧力の差を利用する方法である。これらの採血方法にはそれぞれ長所、短所が存する。それをごく簡単に要約すれば、平圧式方法においては血液のいたみ方は他の方法とくらべると少ないが、採血時間がやや長くかかること、空気塞栓(空気が静脈から吸引され、重要な血行を塞ぐこと)が起り得ること、細菌汚染の可能性のあること等の欠点があるのに対し、減圧方法においては空気塞栓の起る可能性は平圧式に比すれば少ないが、血液の壊れる可能性が多い等の欠点がある。そこでその後これらの点もふまえ、さらに大量の血液を短時間に採るという要請から、いわゆる(ハ)平圧式方法が採用された。これは採血瓶の中を平圧にしておくが、採血の際吸引ポンプを用いて瓶の中を減圧して採血するという方法であつて、この方法によれば、平圧式と同様細菌汚染の可能性はあるが、採血時間は短く血液の壊れ方は少ない。ところで、いわゆる新鮮血を目的とする採血の場合は、いわゆる保存血採取の場合と異り細菌汚染は余り問題にならないため、血液の破壊を比較的伴なわない平圧式、もしくは平圧減圧式方式方法が一般的に利用されているようである。(なお、ごく最近になつて採血瓶に代わりプラスチックバッグによる方法も一部に採用されている。)

以上のような流れからみると、第二内科において行なわれていた前記の採血方法は、本件電気吸引器を吸引ポンプとして用いた平圧減圧式方法に属する。

(三)  採血行為の分担

いかなる採血方法を用いるかは医師レベルにおいて決定すべき事柄である。そして、供血者の選択は医師の責任のもとに慎重に行行なわれなければならない(昭和二七年六月二三日厚生省告示第一三八号、輸血に関し医師又は歯科医師の準拠すべき基準参照)。しかし、採血の具体的行為は看護婦に補助させることができるものと解されるが、その限度については必ずしも一定の基準があるわけではない。平圧式による場合、是非は別として、実際の採血行為は看護婦が行ない、医師はこれに立ち会わず間接的に監督する形をとつている例が多いのではないかと推測される。

他方、平圧減圧式方法による場合は、採血瓶の中の圧を減ずるために何らかの吸引器を使つて操作することになるが、その吸引器の方式あるいは種類については特に規格はなく、従つて、採血のやり方はその用いる器械の機能によつて異つてくると考えられる。現在、平圧減圧式方法で採血している機関は非常に少ないようであるが、当裁判所が検証した北海道赤十字血液センターでは、平圧減圧式方法で大規模に採血している。すなわち、真空ポンプを地下のボイラー室に設置し、ここから銅管が一階の採血室まで配管され、採血室で四本に分管され、その管からゴム管まで連結されてその末端にそれぞれコックがつく。真空ポンプは吸引専用とされ、その目盛は自動的に五四から五五(水銀圧)になるようにセットされている。採血にあたつては、医師は採血室の隣室に位置し、主として供血者の検診に携わり看護婦が採血室において採血する。吸引の圧力は減圧瓶のガラス製のコックで看護婦がその強弱を調整するが、この真空ポンプは前述のとおり吸引専用とされているので仮りに器械あるいは操作に何らかの故障があつてもせいぜい平圧になるに過ぎず、陽圧になることはあり得ない。なお、同センターでは採血車による採血も平圧減圧式によつており、吸引は同車に設置されている小型の真空ポンプを用いる。しかしそのほかは右に準ずる方法を採つている。同センターで行なつているこのような採血の施行法、とくに看護婦に実際の採血を行なわせているやり方が、もし是認され得るものだとするならば、それは第一に、吸引ポンプが吸引専用とされており、圧力もほぼ一定に保つことができ、器械あるいはその操作に故障があつてもそのことで供血者に危害を与えることのないよう装置・構造上の配慮がなされていること、第二に看護婦に対し十分な訓練を施していることによつて、医師は採血室に立ち会わず隣室に所在し不測の場合にそなえることで足りるとされているからと思われる。しかし、本件の如く器械が吸引と噴射の両機能を併有させたままであつて、かつ二人以上の協同作業によらざるをえない採血にあつては、必ずしも同一に談ずることはできない。

(四)  本件電気吸引器による採血に関し留意すべき事項

ところで、第二内科においてこの吸引器による採血方法が導入された経緯は次の如くであるる。すなわち、第二内科においては従来採血はすべて注射筒を用いる方法(通常血液凝固阻止剤をいれた一〇〇CCの注射筒を供血者の静脈に穿刺し、筒を引くことによつて採血する。二〇〇CCの血液をとる場合はこれを二度繰り返す。)がとられていて、それ以外の方法は、行なわれたこともなく、検討されたこともなかつた。たまたま、昭和四三年一〇月二六日、第二内科の平井昭医師(当時研究生)の受持患者が、附属病院第一内科人工腎臓班において人工透析を受けることになり、平井医師および第二内科の主任看護婦であつた若林京子が立会つたが、そのとき第一内科の医師土屋尚義、同網代洪らが電気吸引器を用いて採血する場面に遭遇し、その伝授を受けた。そして、その方法は後に若林主任看護婦から第二内科の数名の看護婦に教えられたが、実際に右方法による採血が第二内科において最初に行なわれたのは、前示のとおり昭和四三年一一月五日のことであつて、被告人と同期でやはり当時副手であつた板谷喬起医師が通常どおりオーダーブックに記入して採血を指示すると、介助の若林主任看護婦らが電気吸引器を準備し、同看護婦の示した手順により板谷医師が吸引器による採血を行なつたものである。板谷医師は医師になつて以来、輸血用の採血を行なうのはこのときが初めてであつて、普通どのような方法で採血しているのかを知らなかつたので、第二内科においてはこのような採血方法が日常行なわれているものと考え、この時が第二内科における最初の電気吸引器による採血であるとの認識は全くなかつた。この採血方法は簡便であつて採血時間が短縮される利点があつたため、やがて第二内科内に広められ、爾来、医師から採血の指示があると看護婦は電気吸引器の準備をなし、医師もこれに応じていた。しかし、第二内科の主任教授であつた斎藤十六は本件事故がおきるまで、このような方法による採血が行なわれていたことは全く承知していなかつた。これは当時第二内科において主治医とされている者の大半が医師免許を取得して二、三年という若い医師であつたこと、従つて採血を行なうのも事実上殆んどそうした医師に限られており、それら若い医師は採血についての教育を特別受けておらず経験も浅いため、第二内科において採血は従来いかなる方法で行なわれてきたか、他にどのような方法があるか等の知識を欠き、結局、ただ看護婦の準備する器具により、看護婦からその方法をいわば教えられてそれが採血の常態と考え実施していたという事情による。従つて、このような実情のもとでは、第二内科自体において本件電気吸引器による採血の適否、採血をするとすればいかなる配意が必要か等の公式の検討は全くなされていなかつた。

しかしながら、しばしば明らかにしたように、本件電気吸引器は吸引と噴射の両用のものとされていて、これを採血に使用するにあたり、誤つて噴射用(陽圧)パイプが用いられるときは供血者の体内に多量の空気を射入し、採血に際し最も忌むべき空気塞栓の事態を惹起する危険のあることは医療従事者としては当然予知しうるし、予知すべきものである。たしかに、本件電気吸引器において吸引用と噴射用の各機器は区分され、パイプの位置・長さ・色等により外見上の識別は可能であつて、看護婦はおおむねその取扱いを必得ていたと認められるが、このような識別だけでパイプの接続の誤りおよびその誤りによる人体損傷の危険を防止しうるものでないことは明らかである。従つて、この危険を回避するためにはおよそ次のような措置が考えられる。

(1) 最も安全なのは、このような器械を採血に用いないことである。(さらに言えば、このような器械は例えば本来的使用法である喀痰の吸引のような場合でさえも吸引と噴射とを間違えてしまうと生命にも危険を及ぼす場合があり得ると予想され、そもそも医療器具として適当といえるのかどうか、あまりに効用の経済性のみを優先さすせすぎてはいないかとの疑問がもたれる。)

(2) しかしこれを採血に使用せざるをえないとする場合には第二次的に噴射の側を使用不可能なものとしておくべきである。(現に第一内科においては、陽圧パイプをとりはずしその部位を絆創膏で封じ噴射の方を使用できないようにしたうえで採血に用いるようにしていた。第二内科において、一時噴射の調節ダイヤルの近くに「ネブライザー」と書いた紙片を貼付していたことがあつたというが、これは英文の表示を補足して分り易くしたにすぎず、ここにいう使用不可能にする措置と考えられないことはもちろんのことである。)

(3) もし右のような措置を全くとることなく採血するとするならば、人による二重のチェックは不可欠といわなければならない。第二内科における前示の採血方法に即していうと、まず、採血針を供血者の静脈に刺入する作業は医師が、電気吸引器を操作する作業等は看護婦がそれぞれ分担していたことは、この方法が二名以上の者の協同を必要とする以上、その限りで合理性が認められる。しかし、この場合に、医師がもしもその分担行為をなすのみで、電気吸引器の操作はあげて看護婦にゆだねてしまうのであつては、危害の発生を防止するに不十分というほかない。一般に危険性の高い器械の操作については幾重もの安全確認の関門を設けるのが常であるからである。従つて、採血行為の主体たる医師は補助者たる看護婦による電気吸引器の操作に過誤がないかにつき重要な関心をよせ、とくに吸引作用に正しくセットされているかをみずから点検確認するか、少なくとも看護婦に具体的な指摘をして再点検せしめることが必要である。このことは協同して採血を施行している医師にとつては比較的容易なことであり、しかも危険防止のため十分有効性をもちうると判断される。

このように、電気吸引器による採血の場合におこりうる危険を回避するためには段階的にいくつかの手段が存する。そして(1)(2)の手段はむしろ抜本的なものであるが、当時の被告人の立場として最少限(3)の措置は当然とり得たし、とるべきであつたと思料される。被告人は判示注意義務を負い、これを尽くさなかつたものと認定される。

第三、証拠の標目<略>

第四、弁護人の主張とこれに対する判断

一、注意義務に関する主張

(一)  (主張の要旨)

「近代医療が高度に複雑化するに至つて、医療の協同化、分業化が趨勢となり、医師相互間はもとより、医師と看護婦その他の医療従業者間において互いの業務の独立をはかり、それぞれの業務に属する事項に関しては各自が責任をもつて処理する体制となつている。従つて危険を伴なう共同作業をする場合に、医師としては他の医療従事者がその持場において相当な危険防止措置をとつていることを信頼し、それをもつて足るとしなければならない。本件当時、附属病院においても他の大規模病院と同様医師と看護婦とは組織系統を異にし、看護業務の独立性がはかられており、看護婦はその業務分担関係に立つ範囲においては十分な知識と経験を有していた。本件電気吸引器はその本来的な使用(喀痰等の吸引ネブライザー)の面で担当者として看護婦があたつているというのは全国的にほぼ確立した慣行であるが、第二内科においても同様であり、これを採血に使用する場合にも看護婦が電気吸引器を準備してこれを操作し、医師が供血者に相対し問診、視診、触診をし、採血針を静脈に刺入するという業務分担の慣行は既に確立されたものであつた。そして、器械の構造、機能からして看護婦が通常の注意をもつて操作しさえすれば事故の起る危険性は全くなかつた。従つて被告人としては看護婦の行なう電気吸引器の操作を信頼し、その点検確認の注意を払う必要はなく、看護婦の失敗について法的責任を負ういわれはない。」

(判断)

近代医療が医師相互、あるいは医師と看護婦その他いわゆるパラメデイカルスタッフによるチーム医療の方向に進歩し、医療従事者間の分業を前提とする協同体制が不可避となりつつあること、そのような体制では各自は他の協同者との相互信頼のもとに原則として自己の分担する任務に専念すれば足りる場合が多いことは弁護人の指摘をまつまでもない。しかし、医行為の実施に関する限り、医師が主体となつて行なうべきものであり、医師以外の関与者はその監督指示のもとにあることについてはさきに判示したとおりである。従つて、医師は看護婦を診療の補助者とすることはできるが、その監督の責任を放棄することはできない。もちろん、この場合でも医師としては看護婦の一定の処置に対し十分信頼を寄せてよいケースがある(いわゆる「信頼の原則」)。たとえば医療器械を使用する場合、器械の構造、看護婦の熟練度等に照らし危険性が少なければ少ないほど、医師の介入を必要とせず看護婦に委ねて妨げないであろう。しかし、逆に危険性が高ければ補助者のみをあてにしてはならない。さきにもふれた如く本件電気吸引器はこれを採血に用いるには甚だ疑問があるところであつた。従つて、被告人は医師として看護婦に分担させた同吸引器の操作に全幅の信をおくのではなくて、さらに判示点検確認義務を尽くすべきであつたといわなければならない。たしかに、当時第二内科における電気吸引器による採血作業については弁護人主張のように医師と看護婦の分担関係が慣行化しており、吸引器の操作は看護婦だけの仕事と考えられ、被告人自身もその慣行のままに行為したことが認められる。一般に医業の領域ではそこで通常行なわれている慣行に従えば相当の注意義務を果したとされることもあるが、これは医学の水準に照らし是認される慣行に当る限りいいうることである。悪しき慣行は基準とはならない。第二内科における右の慣行は必要な検討も経ないまま広がつた、標準的な採血方法を行なつている他の機関のやり方にくらべ危険度の多い、まさしく悪しき慣行であつたというほかなく、これに従つたからとて被告人を免責するものでは決してない。

(二)  (主張の要旨)

「被告人は前記(理由中に記載)のとおりの医学教育を受け医師免許を取得したものの、専門分野についての修業は浅く、一人前の内科医師として十分の能力をもつに至つていなかつた。つづいて第二内科に入局し、半年は先輩医師に補助者としてつき、その後一応独立して入院患者の受持医となつたが、これはその患者に対して全責任を持ついわゆる本来的な意味での主治医の立場に立つものではなく、依然卒後教育を受けていた。被告人のように入局後間もない無給医はそれまでに受けた医学教育が不十分であり、経験も不足しているため、受持つた個々の患者の病状の診断、治療の方針について多くの時間と努力とを傾注せざるを得ず、その結果附属病院で行われていた診療上の手技やこれに伴う慣行あるいは診療に使用する機器類の取り扱いについてはこれを習熟するのに追われ、それに対し検討を加えるだけの時間的余裕は現実になく、また被告人の如き新参の医師が、それまで医局で行なわれてきた慣行、手技(本採血方法もその一と思つていた)について批判する立場にもなかつた。被告人に不能を強いるべきではない。」

(判断)

当公判廷における被告人の供述、証人板谷喬起、同斎藤十六の証言等によれば、大学医学部在学中、あるいはインターン期間において、医師となるための十分な教育が施されるわけではなく、従つて医師免許を取得しても医師として通常一人立ちできるとは言い得ないこと、現に被告人らの同期生でも医師免許を取得して直ちに開業した者はなく、全員附属病院等の然るべき機関においていわゆる卒後教育を受けていること、通常一人立ちできる医師になるためには六ないし七年の研究、修業が必要であることが認められ、従つて弁護人の主張するところも一面理解できるものがある。しかし医師の免許を取得し現に患者を診察し、治療行為を行なつている以上、医学の全般に通じることはとも角、自己が実際に行なつている方法について知識・技能をもつこと、ことに生命に直接危険を及ぼす可能性のある行為、方法については自己がこれまでに蓄積してきた知識を活用し、さらに必要な補充を加えつつ検討することは十分可能なはずであるし、社会は医師に対しこれを要求しているといわなければならない。

そして本件電気吸引器について、被告人は、少なくともその構造の大要、採血の手順、留意すべき諸点を把握して採血に過誤なきをはかるべきであつた。(もつとも、検察官主張のような「電気吸引器の機能、操作方法に習熟する」法的義務があつたとまではいう必要はあるまい。もちろん、みずから習熟するに越したことはないが、操作を分担させている看護婦に対し適切な監督を及ぼしうる程に大網を掌握しておれば足りよう。)被告人の経験・第二内科における立場がこれらの期待を一切阻むような事情であつたとは到底思われない。

(三)  (主張の要旨)

「本件吸引器による採血にあたり、多田看護婦の器械操作に関し、仮りに被告人に何らかの点検確認義務があつたとしても、それは検察官が訴因として掲げるようなみずから直接点検確認する義務ではあり得ない。けだし、採血に際し既に両手を消毒して無菌状態を保つている医師としてそれは不可能なことである。また、口頭による点検確認については、被告人が採血針の刺入に先だち多田看護婦に『いいですか』と声をかけ多田が『はい』と答えたことにより義務を尽している。従つて被告人には注意義務違背はない」

(判断)

しかし、直接の点検確認とは、必ずしも手で触つて確認することを意味しない。目で見てパイプの接続、目盛の位置等を確かめることは可能である。次に被告人と多田看護婦との間で「いいですか」「はい」という問答のあつたことはさきに認定したとおりであるが、この言葉は採血の準備完了の有無をたずね、これを肯定しただけで、弁護人主張のような意味での確認の言葉でなかつたことは被告人みずから認めているところであり(被告人の検察官に対する昭和四四年六月二〇日付供述調書)、またこのような抽象的な言葉のやりとりだけでは点検確認をしたことにはならない。口頭による点検確認義務を果したといい得るためにはさらに具体的に注意すべきところを特定して点検確認せしめなければ十全とはいいがたい。

二、因果関係に対する主張

(一)  (主張の要旨)

「本件で被害者である杉井の体内に注入された空気量は、科学的に、(すなわち古川庄次ほか一名作成の鑑定書の結果に加え、採血針の先端にかかる血液の抵抗や駆血帯の存在、空気流入の経過時間を考慮して)検討すれば、ごく微量とならざるを得ず、かつて別の案件で古畑博士、中館博士が行なつた鑑定結果で示されている『致命的な空気塞栓症を招くとされるほどの多量な空気(ただし、両鑑定にはかなり差がある)』は注入されていないはずである。しかるに杉井が空気塞栓症で死亡したのは、多田看護婦がACD瓶から金属針を抜かないで駆血帯をとつたため多量の空気が流入してしまつたか、あるいはACD瓶から針を抜いたあとで駆血帯をとつたとしても駆血帯をとることによりそれまで注入されていた空気が体内に急激に入つてしまつたためである。いずれにしても、空気の流入を空気塞栓による死亡との関係については流入の量だけでなくその速度に大きな関係があるとされているので、多田看護婦が被告人に無断で駆血帯をとつたことは杉井の死亡につき重大な意味がある。」

(判断)

ところで古川鑑定は単に大気中または水中における本件電気吸引器の排気量はどの位か、ということを実験したに過ぎず、体内の血管を流れている血液、しかも駆血帯をすることによつてそれより先の血管の圧を高めた状態の血液の中で、果してどの程度の空気が注入され得るものか、という点には及んでいない。また、多田看護婦が金属針をACD瓶に接続したあと、おかしいと気づいてその針を抜くまでの時間は、多田の供述調書によつて一応五秒位という数値が出ているが、これも単なる感じにとどまり、秒単位が問題となる本件では正確さに欠けるきらいがある。そうした点からすると、果して杉井の体内に入つた空気の量がどの程度であつたかは、当裁判所としては判然と確定することはできない。

しかし当時調節ダイヤルが圧力計の指針を0.5に至らしめるようにセットされたままになつていたのであるから、多田看護婦が電源スイッチを入れて以来ACD瓶内には刻々空気が流入し圧搾されていたものと考えられる。その間、①被告人が多田看護婦に採血チューブの一端を渡し「いいですか」と言つた。②多田看護婦が「はい」と答えた。③被告人が採血針を静脈に刺し、暫くして採血チューブの先に血液がきたのを確認して、多田看護婦がACD瓶に採血チューブの他の一端の金属針を刺す、という行為がなされているのであるから、正確には不明であるがそれ相応の時間の経過が考えられ、従つてACD瓶内の圧力はかなり高くなつていたことが容易に推察される。そして被告人が採血針を杉井の静脈に刺した後、多田看護婦が片方の金属針をACD瓶に刺した瞬間、上記のように圧搾されていた空気が一挙に採血チューブを通つて血管内に注入され、これはその後数秒位にわたつて続いたものとみられる。(古川鑑定では、予めACD瓶内に圧搾空気が入つていたことも全く考慮されていないので、この意味でもそのまま本件にあてはまらない。)そうすると駆血帯の存在、血液の粘性ということを考慮に入れても弁護人の主張するようなごく微量の空気しか注入しなかつたとは到底いえない。しかも、古畑、中館鑑定によれば、空気はその注入された量と共に速度も死を招く大きな要因であるとされているところ、前述のような金属針をACD瓶に刺した瞬間におけるその速度はかなり急激なものであつたと考えられるのである。

ところで多田看護婦が駆血帯をとつたのは金属針をACD瓶から抜いたあとと認めるのが相当であるから(多田の司法警察員に対する昭和四四年六月一〇日付、検察官に対する同月二一日付各供述調書)、そのときは既に杉井の体内に空気が流入していた。従つて駆血帯をとることによつて流入の速度につき幾何かの影響があつたことは考えられるにしても必ずしも決定的なものとはいい得ないし、まして因果関係を切断するものと考え得る根拠は全くない。

(二)  (主張の要旨)

「杉井が空気塞栓症による脳軟化症の傷害による体力消耗により死亡したとする本件訴因には疑問がある。すなわち宮内義之介作成の鑑定書は、杉井に『急激かつ致命的な脳障害』があつたものとし、『脳の全般にわたる高度の軟化壊死で、周囲にはこれに対する反応が殆んどみられないので急激な経過をとつた軟化である』と述べているが、これは杉井の臨床結果に合致しない。なぜなら、杉井は事故後一ないし二分で自発呼吸が出現し、四ないし五分後には心膊動出現、血圧は正常となり、三時間三〇分後には四肢の自発体動が出現し、五時間三〇分後に脳波の活動が記録され、一一時間後にけいれんが出現するまで自発呼吸、血圧とも正常、眼球運動・まばたき運動があつたとされているもので、前記宮内鑑定書はこれらの臨床経過を全く無視している。脳障害は致命的ではなく、不可逆性の障害は起つていないとも考えられる。従つて事故後一一時間後に起つた急激な増悪の原因として、その間の治療の適否、特にその間に使用したヘパリン、マニトールの功罪が検討されねばならない。」

(判断)

鑑定書を作成した宮内義之介は、当公判廷において鑑定の内容につき次の三点すなわち、「空気塞栓による脳障害」という鑑定結果は同鑑定人が解剖所見のみから推定したものではなく、捜査官から鑑定依頼を受けた際交付された鑑定嘱託書中の本件の経過が記載された欄および第二内科で作成された病歴書を参考にしたうえで解剖所見とも矛盾しない、ということでこの結論を導き出したものであること、しかし全部の脳が一度におかされて急激に壊死してしまつたことは解剖所見から十分に判定できるものであつたこと、ただこの場合の「急激」ということが五分か一〇分なのか、あるいは一時時か二時間なのかということは確定できないものであること、以上の三点について補足した。そうすると、あるいは弁護人の述べるように、事故直後致命的な脳障害を受けたのではなく、その後数時間のうちに悪化したと考える余地はあるかも知れない。しかし、証人斎藤十六の証言および被告人の当公判廷の供述によつても十分に認められるとおり、本件発生以来第二内科あるいは附属病院全体において杉井を助けるべく総力をあげてその治療、看護にあたつている。ヘパリン、マニトールの使用も斎藤教授がその豊富な知識と多年の経験から最善と考えて使用を指示したもので、指示に基づいて実際に使用した他の医師達も特に奇異な治療法と考えなかつたことは、それを何の躊躇もなく使つたことからも窺われるし、少なくとも現在の医学の水準に照らし非常識であつたわけではなく、病状の悪化がその使用に起因すると考えられるべき何らの証左もない。(結果的には多量の出血をきたしたが、歯が折れたことは偶発的なことであつた。)なお、弁護人らは本件のような空気塞栓の場合の治療法として高圧タンクの使用も考えられる旨述べているが、高圧タンク自体わが国に数少ない器械であつてその使用も未だ一般的なものではないし、附属病院には設置されていない。これを使用しなかつたからといつて治療法が誤つていたということはできない。

そうすると本件事故と杉井の死との間の因果関係に疑問を呈する弁護人らの主張は、いずれも理由がない。

第五、法令の適用

被告人の判示所為は行為時においては刑法二一一条、昭和四七年法律第六一号罰金等臨時措置法の一部を改正する法律による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては刑法二一一条、右法律第六一号による改正後の罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときは当るから刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によるべく、後述の理由により所定刑中罰金刑を選択し、所定金額の範囲内で被告人を罰金五万円に処することとし、右の罰金を完納することができないときは、同法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置置する。訴訟費用中、証人斎藤十六、同平井昭、同小林京子、同井末みよ子、同千葉燿子、同松本一暁、同宮内義之介、同板谷喬起に支給した分は刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。

第六、量刑の理由

(一)  本件は、当時三二才の壮健な杉井陽太郎が、みずからのためではなく全くの好意から知人に供血しようとして附属病認を訪れ、想像だにできない事故に遭遇し遂に不帰の人となつた痛ましい事件である。

被害車杉井の立場からすれば、わが国有数の医学の殿堂ともいうべき大学附属病院内で、しかも医師と看護婦がそろつていながら採血時の空気注入というごく単純な初歩的ミスで死亡するということは、まことに痛恨きわまりないことであつたに相違ない。杉井は事故後四一日間生存し得たけれども、これは脳脊膸等の中枢神経系の機能を喪失し、機械力によつてわずかに胸腹腔臓器の機能を維持しているいわば植物的人間の状態であつて(宮内鑑定による)、即死と何らえらぶところはなかつた。同人は千葉県印旛郡八街町で酒類卸売を営む杉井良祐、まつ夫妻の長男で営業の中心となつて活躍していたものである。健康にもめぐまれ、当時結婚して二年目の妻多希子との間には一才の男児があり、一家をあげ平和な生活を享受していた。本件事故によつて夫や子や父を奪われ、たちまち将来への楽しい期待を失つてしまつた遺族の心情は察するに余りがある。過般国を被告とする民事第二審判決において総計三千五百万円を超える賠償が与えられたが、それによつて物心のすべての苦痛がくまなく癒されるはずもない。

他方、社会的な視点からすれば、通常の治療行為以上に保護を受けなければならないはずの採血の過程で、かえつて死の結果が惹起されてしまつたことは一般の供血への不安をかきたてる性質のものであつたし、それがこともあろうに医学の研究機関として設備と陣容を誇り、それゆえにまた他人の信頼を得てきた大学の附属病院で起つた出来事として世間に与えた影響はきわめて重大なものであつた。かかる事故は二度と起つてはならない。医師の社会的地位と責務に照らすとき、被告人の不注意に対しては厳格な法的非難が向けられるのは当然である。もつとも、本件事故は直接には多田看護婦の手による過誤に基づいており、被告人が刑責を問われるについては多分に偶然的な要素が介在していた。これまで被告人と同様の行動をとりながら幸い看護婦に過誤がなかつたため事故から免れたケースも多いからである。だが、監督指示は万一の事故を防ぐ趣旨で行なわれるのであり、これを全うしえなかつた責任はやはり軽視できない。

(二)  しかしながらひるがえつて考えてみると、被告人は大学を卒業してわずか二年を経過したばかりの研鑚途上にあつた若年の医師であつて、附属病院ではいわゆる無給副手としての地位にあつたに過ぎない。無給副手というのは、大学から副手に採用されているが、正規の公務員ではなく、従つて給料の支給も受けず、責任体制は不明確なまま診療の大部分を受け持つ「働き手」を形成していた。しかるに、現在の医学教育においては採血技術のような理論的興味をよばない分野での指導はほとんど無きにひとしく、このため被告人ら若年の医師としては古参看護婦らから電気吸引器を準備されれば、なるほど採血とはこのようにするものかと考え、その慣行に無定見に追随するような雰囲気がほとんど一般化していたとみられる。そのなかで被告人に対し慣行に埋没せず異る行動に出るべきであつたと期待するのが必ずしもたやすい状況でなかつたことは否定できない。しかも第二内科において本件電気吸引器を採血に使用するようになつた経緯はきわめて不可解なものであつて、前記認定のとおり、全く看護婦サイドで決定され普及させられたといつて妨げない。いうまでもなく、いかに従来の器具の転用だとはいえ採血という面では画期的な変更となる以上は第二内科の然るべき機関あるいは指導的地位にある者の間で慎重に討議し、検討し、危険性のチェックを施したうえで導入すべきであり、かつその際は末端に至るまで取扱い方について周知徹底せしめるのが本来である。しかるに、第二内科においては驚くべきことに主任教授をはじめ上層部では何ら関知しないまま看護婦側で導入し、知識、経験に乏しい医師による使用が放置されていたのである。医療器械の不適切はときに大事故を惹起する。採血に用いるにはむしろ欠陥の目だつ本件電気吸引器が安全性への配意も不十分な状態で半年余にわたり使用し続けられていたことについて、第二内科医師団は医師としての責任を放棄していたとさえ極言できる。それは結局実際の医療技能より研究を重視する傾きがあるといわれる大学病院の通弊が露呈したものであつたろうか。いずれにしても、本件の如き事故は被告人と多田看護婦の組合せでなくても早晩おこりうる危険性がひそんでいた。むろん法はその中でなお医師と看護婦に対し可能な万全を期すべきことを望まなくてはならないが、被告人らだけにきびしい追求を行なうことは必ずしも公平ではない。

(三)  被告人は新進篤学の医師である。本件における自己の法律的責任の有無については疑問を表明しているけれども、もとより道義的責任をも否定しているわけではなく、本件を反省し、その遺族に対しては衷心から哀悼の意を表している。一時は本件のショックから医師をやめようとさえ思いつめたが、杉井の一周忌に際しもう一度臨床医として懸命に勉強をすることが杉井の死に酬いる道でもあると決意するに至つたという。そして本件によつて千葉大学から副手を免ぜられたので、目下研鑚の場を東京女子医大に求め無籍のまま再起の志を果そうと努めている。

他方、附属病院内部では主任教授斎藤十六は本件によつて引責辞職し、電気吸引器による採血はその危険性が自覚されてこれを廃されるに至つたまた採血に従事する医療関係者らが本件後この事故を他山の石として過誤なきを期するに資していることは村上鑑定人、浜中証人らのひとしく申述するとおりである。してみると、本件裁判の目的の一であるべき予防効果の大半はすでに収められているとみられぬこともない。

彼此勘案し、当裁判所は本件事案の重大性を重視しながらも叙上の具体的事情に即し、検察官論告の禁錮刑を選択せず、被告人に対し罰金刑(法定の最高額)を科すべきものとする。それは、被告人に医業の中断を避けしめようとする意味をもこめている。当裁判所は、被告人が刑の軽さを思わず、ひたすら罪の重さのみを感得しつつ、今後における医学研鑚の態度を律すべきことを望むものである。

よつて主文のとおり判決する。

(萩原太郎 浅田登美子 矢島宗豊)

別紙一、二<略>

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